なぎさにふたり

マッチングアプリ文学

好みじゃない、って差別なの?

ある人にとっては、わたしは酷くて醜い人間だった。顔貌はそれなりだが、性根でそういう自覚があった。また自覚があるだけマシだと思っている節もあった。

「好みじゃない」。恋愛というフィールドでのみ使えるワイルドカード。人はこのカードを使うことで、生まれ、育ち、稼ぎ、外見に罰点をつけ、縦横無尽に人を嫌うことができる。
「ここだけの話ね、あの人無理だった。本当は全然好みじゃないし」
背がね。顔がね。喋り方がね。年収がね。無理だね。
人類皆仲良く!差別なんてしてはいけませんという道徳の中、最後に残った自由区が恋愛、はたまたマッチングアプリなんじゃないか?

魅力ある人が恋愛に入れ込み、恋愛をやめられない理由は「人恋しさ」に限らない。相手が求めてくれているのが嬉しいから、なんてスイートな理由で恋愛をする人、これっぽっちもいないんじゃないか。
そんなことより、一方的に相手に罰点をつけ、いかなる状況でも嫌う側に回れる、安心感の希求のために恋愛をする人だって、それなりにいるんじゃないか…身につまされる話でもある。

マッチングアプリ狂いだったとき、再開しては辞め、再開しては辞めるを繰り返した。その度知らない男の人が「また始めたんだ。寂しがりやなんだね」と一方的に声をかけてきた。わあキモい。しかしキモい以前に不思議な気持ちになった。

だって、そんなの全然違う。わたしは楽しくマッチングアプリをやっていた。寂しさを避けるための悲痛な努力ではないように思ったのだ。

わたしはたったひとりの好きになれる男の人を探していたけれど、同時に無尽蔵に男の人を嫌える機会を求めていたような気がする。選択ってそういうことだ。何かを選ぶということは何かを選ばないこと。1/nの分母を増やしに増やして、わたしはむしろ、n-1人を「選ばない」ことに楽しみを見出した。

切り捨てるごとに、わたしは自由になるような気がした。
年収、顔、身長、学歴でフィルタする。するとあの日、漫画を買っている時にメアドを押し付けてきた、気持ち悪い顔の男の人が消えてくれた気がする。夏休みの短期留学先でわたしの跡をつけまわして付き纏ってきた同級生が、消えてくれた気がする。
いもむしのように太くて短い指に挟まれた紙、汚い文字で書かれたメールアドレス、くぐもり吃った声、太い足首に中途半端な丈の靴下、安いスニーカー、好きな漫画が一緒だから仲良くなれると思ったと言って近づいてくる愚かしさ。
全部嫌いだったのだ。なのに「友達になりたいから」などと並べ立て、彼らは明確な拒絶の機会も与えてくれなかった。わたしは何も言わずに走って逃げた。ウザい。キモい。怖い。ヤバい。あっち行ってよ。本当は向こうから離れて欲しかったのに。メアドが欲しいと言うから、存在しないメールアドレスを書き捨てた。本当は全部全部断りたかったのに。
マッチング後のメッセージでもフィルタリングを繰り返す。
あの頃のサークルの先輩のキモい挙動、あの日の上司のあまりにもウザい発言、あの日あの時言葉にできなかった嫌悪が、マッチングアプリの男の人越しにはっきりと形を得る。
押し付けがましい優しさ。見当違いの思いやり。断ることも許されない気遣い。
「そういうの嫌いなので、もう返信やめますね。ブロックします、さよなら」
恋愛の中でなら好みを理由にあっさり嫌えるなんて、めちゃくちゃすごい。何千人もの男の人からいいねをもらって、まず一巡切って並べる。マッチングした後もやり取りをして、キモい人のキモい部分が析出されていく。ウザい人のウザい部分が抽出されていく。無理って言っていい!なんだかわたしにとってはめっちゃすごいことだった。

けれど、これは罪なのだろうか。
やはりわたしは人を選ばないことに快楽を見出す、酷い女だったのだろうか。
そして、これはかつてのわたしに限る欲なのだろうか?

誰に許されたいわけでもないから無理筋で正当性を謳おうなどとも思わない。ただ、わたしは「好みじゃない」「嫌い」カードを相手に切るたび、とてもすっきりした。日常では嫌えなかった類の……可哀想な人を明確な理由を以て遠ざけられることに、とても安心した。でも対岸の好まれなかった人には「好みじゃない」カードがたくさん集まっている…わたし以外の人からも集まっていることも想像に難くない。

こんなに綺麗な人がぼくのプロフィールに来るなんて、何かのご縁ですからいいねします。というメッセージ付きいいねが来たことがある。
検索順位をあげるため、非モテ層に足跡をつけていいね稼ぎをするという行為の一環なので、当然このような狂ったいいねに本来返事はしない。はずだが、ミスってマッチングしてしまった。ブロックするにも悩んで数日置いておいた。
メッセージを開いてみると、マッチングアプリにはスペック厨しかいませんね、外見差別が職業差別が云々、という呪いのメッセージが数件届いており、笑ってしまいそうになった。なんだそれ。普段の生活じゃ明確にNOと言われないだけだよ。
でもきっと、マッチングアプリを通じて可視化された「好みじゃない」が集まるこの人からすると、「いわれなき差別だ」と思うんだろう。悲しいことだ。
かける言葉もない、断絶だ。わたしは彼をブロックした。来世で幸せになるといい。



p.s.
不思議なことに、結婚以降、日常生活にいる男の人をキモくてウザいと思うタイミングがめっきり減った。未婚というフラグが外れたからなのか、単に加齢なのかはわからないが、放っておいてもらえるようになった。ともすると、自分の自意識過剰さや防衛本能が和らいだからなのかもしれない。
こういう効果を期待して結婚を望んでいた部分も、もちろんある。