なぎさにふたり

マッチングアプリ文学

日刊東京タワー通信 1日目

スカイツリーが出来てから10年余の時が過ぎたが、「東京タワー」はステイタスシンボルとして在り続けている気がする。
「今俺が住んでる家、東京タワーがみえるんだよね」なんてあからさまな港区在住アピールは、もう誰もしなくなったかと思う。しかしわたしがアプリをやっていた時代には、まだあった。人類は年々上品になっていく、当時ですら「下品だな」と思えた口説きは、きっと今となっては語るに悍ましい畜生の言葉として数えられているのではないだろうか。いやあ、言い過ぎかなあ。わたしがそう思うだけなのかもしれません。

《日刊東京タワー通信》というあだ名で呼んでいた男がいた。

当時のわたしは大学生で、人生でもっとも心が不安定で、もっとも男性を憎んでいて、しかし憎悪している男の人の支えがないと真っ直ぐに立てないような心持ちがしていた。
砕けそうな精神の添木とするため、男性の硬い骨が必要だった。だから就活のOB訪問の体でいろんな男性と知り合った。「就活」という固定の話題があるというだけで、どんな相手とも何となく時間が保ったし、「やっぱり素敵な職場で働きたいじゃないですか」と言って近づいて、数回やりとりするうちに社会人1〜3年目の苦悩を大仰に語り出すのもなかなかに面白かった。
同世代の人より優れていたいんですね。だから弱音なんて吐けないですもんね。誰ともわかりあえないの寂しいですよね……でも大丈夫。〇〇さんが無理して理解のない人に話すことなんてないんですから。このままで頑張っちゃいましょ。えいえいお〜♪……そんな。気にしないで。いずれわたしもおんなじように辛い思いをするかもですし、人生のお勉強になるので……じゃあ、電話します?
「……いえ。わたしが声聞きたいだけでした。だめ?」
初めて深夜残業した日の話とか、上司の考えがいかに鈍くてダサいかとか。国会対応で2徹とか、これからのファイナンスはどうのとか。その頃俺カンヌだわとか。
当時のわたしは、電話口の向こう側の誰もを褒めたし、何もかも肯定した。
ああ、出来のいい同期には到底言えないことをここで言ってるんだ?仲良い人居ないんだ、という冷ややかな鼓膜で声を隅まで捉えて、脳を通る時には呪いを反転させる。唇に言葉を乗せる時までには甘さでくるんで祝福に変える。
「競争心、素敵ですよ。謙虚さの裏返しだから……本当は〇〇さんのこと尊敬してるんです。でも悩んでいるところ見たら親近感わいちゃって」
「視座がとくべつ高いから、寂しいのかもしれませんね」
当時のわたしの卑怯なやり方に躓いた生き物の中で、《日刊東京タワー通信》さんは最も愚かで、最も「いけない」気持ちになるような人だった。


《日刊東京タワー通信》さん、以下タワーさんは、都内総合商社勤めの28歳。新卒入社ではなく、金融機関からの転職組。中国地方の公立高校出身、東京の国立大学に進学。身長は普通より少し高め、疲労が滲み出ているような澱んだ目つきであること以外、容貌に指摘する点もない。

「……俺さあ、下から上がりの慶應が一番許せないんだよね」
「結局三田会の中で同期結婚しちゃうカップルのお話?どうしていやなの?」
あれな男であろうことは予見していたので、会う前に電話を重ねておこうとプランだった。というより、会う気は一切なかった。声や言葉だけで相手の考えを壊す手立てを知りたかったからだ。
この日もわたしは「お声聞きたいです」と言って向こうから電話をかけさせ、スピーカーからタワーさんの左耳にせっせと毒を流し込んでいた。
「環境に恵まれてるだけだろ、って思うから」
これは、おおかた中途で入った商社の慶應閥が強過ぎることからくる疎外感だろう。嫌悪の向こうには妬みがあり、そのまた向こうにはタワーさんの触れられたくない弱みがあった。
「そうですか。でも、それを言ったらわたしもずっと東京育ちで、手塩にかけて育てられてますが……わたしのことは嫌い?許せない?」
不安になっちゃいました、と電話口で問うと、タワーさんは「ミツギちゃんは違う!」と迷わず返事した。この声調と勢い、なるほど良い調子でわたしに傾いている。というより、手塩にかけられて育っている純粋培養処女とどうこうなりたいという私欲なのかもな。この人権威主義的だし。まあわたし別に処女ではないんだけど、おそらくこの男の目ではゼロとそれ以外の見分けなんてつかない。
「よかったあ。でも、お気持ちわかる気がしますよ。〇〇さんは地方で、誰にも頼らないで大学に受かったんですもんね」
「本当……上手だなあ、ミツギちゃんは」
うっとりと言った様子の声色に肩をすくめる……はいはい。
社名を褒められるの、寂しくて嫌ですもんね。同じ会社でも下から慶應の人と違ってあなたは「とりわけ頑張っている」んですもんね。(じゃあ何、下から早稲田の人を叩かないのはなぜ?)その裏にある努力が違うんですもんね。スタートラインが違うところ、華やかなゴールに辿り着いたんですもんね。(あなたより大変な身の上の人だってたくさんいるよね?)(結局あなたが一番欲しくて手に入らないものを、「下から慶應」の同期の既婚イケメンが持っているから憎むんでしょう?)ライブラリの中から適切最悪な言葉を選び、伝え返す。
「上手だなんて。心底思っていることですよ。だから単に、わかりあってるだけなんだと思います」
「本当に賢いのはミツギちゃんみたいな女の子だよね……」とタワーさんは浮ついた言葉を急いた調子で繰り返す。
「本当に賢い?」
本当に、って何だよ。お前の至極勝手な指標に「本当に」だなんて大層な修飾語をつけるな。原義に悖る再定義をするな。──どこまでもタワーさんはわたしを落胆させてくれた。
「俺思うんだよ。本当に賢いっていうのはミツギちゃんみたいに、可愛くて優しくて……綺麗な言葉で男を気持ちよく転がせることなんじゃないかって」
清々しいほどの自己中心性だ。冷ややかに反射する思考をそっと温めて、角をとって唇に乗せる。
「賢く見えて本当は賢くない女性っていうのが、〇〇さんの周りにいるの?」
「あぁ。うちの会社の総合職女とかさあ、すっごいよ。わざわざ嫌な言い方とかしてくるし。そこまでしても体力面で有利な男に勝てるわけないのにさ、可愛くないよね」
じゃあお前の業務成績をおかさないことを「可愛い」って言ってるんだ。面白い。あなたのような人間は……もう死んでしまえばいいのに……でもその前に。
死を願うほどに不快な価値観だったから、どうすれば考えを侵してボロボロにできるか、ボロボロになった荒地の隙間に新しい種を植え付けることができるか、興味があった。脳が痺れて電流が走る。散々肯定されて砕けやすくなった彼の思考を壊すにふさわしい言葉を紡ぎ出す。
「ひどい人。」
小さい声でそう言うと、タワーさんが硬く息を呑むのが聞こえた。
「……わたし、強い人が他者に優しくする姿が好きです。〇〇さん、怖い……優しい言葉でお話しませんか?」
「え?あ……ご、ごめん」
ちょっと……ごめん、ごめん、と慌て切った声がしばらく聞こえた。「もしかして泣いているの、」とも。
「泣いてないけれど……びっくりしちゃって。〇〇さんがいじわる言う姿見たくないです。わたしのお友達や先輩でも、キャリア志向の人たくさんいますもん。頑張ってる人に、ひどいこと言わないで」
あなたのことが大嫌いだからこそ、わたしのことを大好きになって欲しかった。タワーさんはわたしの言葉を受けて「本当にミツギちゃんは優しいね……」とぼんやりとした調子だった。
「わたし、優しい人が好きです」
愉快で痛快で声が震える。そのまま挨拶もせず電話を切った。すると、程なくして機嫌を伺うような文面のLINEと、宵闇にひかる東京タワーの写真が届いた。
「さっきは本当にごめん。今日の東京タワーです!綺麗だから元気出るかなって」
この男が《日刊東京タワー通信》さんと呼ばれる理由が、これである。
「ありがとうございます…綺麗ですね」
これで評価者はわたし、被評価者はタワーさん。舞台は整った。
「優しい」は人の心を砕く時、たいへん使いやすい。賢いか否か/美しいか否か/富んでいるか否かで人を評価すると、非道徳的だと言われて反感を買われてしまう。しかし優しいか優しくないかで人を評価する時はそうはならない。そもそも何を以て優しいと判断するかの基準を明確に持っている人間は少ない。
……だからわたしは「優しい」を使って、タワーさんの「賢い」を壊す。タワーさんが賢い女都合のいい女が好きなら、わたしだって優しい男都合のいい男が好きだった。彼を浅く頻回承認し、一度深く拒絶する。
女のこと、「無害でかわいいから」って理由で好きになっちゃいけないってお母さんから習わなかったの?自分より弱い存在の言う甘言に耳を傾けてはだめって初恋の女の子は教えてくれなかったの?誰かの努力を軽んじてはいけないって学ばなかったの?わたしより全然大人なのに、どうしてそんなことも覚えられないの。悪い人。
だからわたしはわたしのやり方で、自覚的にタワーさんに暴力を振るう。この人相手なら良心が痛まないから。



どうしてあれな人って乃木坂46が好きなんでしょう。
命は美しい

命は美しい

これよりちょっと前の時期、別のイケメンサラリーマンとも知り合っていましたが、その人も乃木坂46が好きで、「俺メンヘラと付き合いがちで」「でも元カノは読モで」とか言ってました。メンヘラって言い方やめろ、人間性を軽んじるな……気分悪くて仕方なかったです。あと読モって言葉から絶望的な加齢臭がしますね。今ならインフルエンサーって肩書きに匹敵するのかもしれません。おそらく。
その人に対してはもっと稚拙な言葉遣いで話していた気がします。最初はもちろんタワーさん同様にベタ褒めしてたんですが、元カノの話が出てきたあたりで「なんであなたみたいな性格おしまい男とわたしが遊ばないといけないの?」「顔が好きだから会いたいとか本当に気色悪い笑 性格は気に入ってないでしょう?わたしレイプされて殺される感じ?怖いなぁ……」「顔しか好みじゃないってそういうことじゃない?ちゃんと説明してくれません?」とか言ってた気がする。今思うと何がしたかったのかわかりませんが(わかるけど、話が長くなるからね)、まあ、そういう時期だったんですよね。
もちろんこのようなやり方をするとすぐに切れてしまって、秒で退屈になってしまいました。なのでタワーさんは反省を生かしてこのように関わっています。カスのPDCAサイクルを回している。