なぎさにふたり

マッチングアプリ文学

光と風に怯える彼

その日のアポは終業後。虎ノ門と新橋のあいだの、地下にある和食のお店で集合することになった。
めずらしく歳下の人、まあひとつ違いだから大した歳の差でもない。ただ名前が自分の弟と少し似ていることにやや違和を感じていた。弟とマッチしたのでは?という恐れがあるのではなく、すでに弟を指す名称として呼び慣れている名で、全く似ていない男を呼ばないといけないことを、わたしの脳はほんのりといやがっていた。


都内の国立大学に進んだあとデベロッパーに就職したという彼は、特にスーツの着こなしに「思想」などはないようで、単純に格好いいものを選んでいるように見えた。それもそのはず、彼自身が単純に格好良かった。マッシュ気味の厚い前髪からのぞく眉は細すぎず太すぎずまっすぐに生えていて、育ちの良さを感じさせた。ほんの少し垂れた目の形もあいまって毛並みの良い犬のようだった。

なんかわたしにしては珍しいタイプだ。自分で自分が可笑しくなる。散々変わったメガネの男の人と会ってみたり、ITだからスーツ全然わからない!みたいな人と会ってみたり、そんな様子だったので。そういえば先日、途中で誰かのデートをブッチして合流して適当な店で飲んだ派手顔のイケメン研修医は、謎のストリートファッションだった。派手すぎて引いて帰宅後ブロックした。向こうもまあわたしが地味で引いただろうし。本当に人それぞれ。

薄暗い店内、それなりに美味しいご飯、「俺お酒苦手だからノンアルが美味しそうなところにした」という言葉。
デベロッパー勤務だと、借り上げの社員寮の設備がいいらしい。アウトレットも自社で持っているから同期とよく遊びに行くらしい。この前はいい感じのフライトジャケットのようなアウターを安く買うことができたらしい。
話のすべてから、日系大企業の古き良き福利厚生を感じる。会話も別に引っかかることもなく、無痛の時間が過ぎていった。
木曜日なので二軒目はなし。健康的な時間に解散し、普段どおりの時間に床に就いた。


無痛ではあったが無味でもなかった、極端に盛り上がる話もなかったが。お酒を飲んでいないので、シラフで会話が続いただけで程々に良い時間であったと感じられる。
次は昼間から上野公園で会うことになった。ただ緑を見て美術館でも見てお酒を飲んで解散でも出来ればいいかという場所のチョイスだ。
微妙に遅れるという彼を駅の出口で待つ。ああ、あれが例のアウター……?あれ?あんな感じだったっけ。昼間に見ると違う人みたい。多分あの人なんだろうけれど……。

ビュウと寒い音、風のいたずら。改札を出た瞬間彼に強く吹きつけた。
彼の前髪は逆様にめくれあがり、午後0時半秋晴れの太陽光線を、ピカリとするどく反射した……彼の額。

え。

え?

あ、ハゲだ!しかもこれ結構いっちゃってる、とわたしが気づいた瞬間、彼は挨拶よりも先に「み、みつぎちゃん?!髪切った?!」と頓狂な声をあげた。いや、それこっちのセリフだから。

「切ってないよ」
「あ、そ、そう?おれちょっと切ったんだ!この前会った時はもうだいぶ長かったし、目に入ったりしてたし」
マッシュの重さがあればあの程度の風では捲れなかったとでも言いたいのだろうか。真っ先に額を見てしまったせいで、デートを前に髪型を整えてきたのだというかわいらしい自己申告を受けても「へえ、そうなんだ」としか言えなかった。

「どこ行く?お昼食べた?」
「食べてないよ」
「俺も食べてない」
「へえ、そうなんだ」
「ご飯どうする?」
「ああラーメンとかでいいんじゃない?もしくは蕎麦」

わたしはひたすら茫然としていた……歳下だ。まだ20代前半だ。どうしたんだあれは。流石にかわいそうだ。
ラーメンはちょっと、と彼は言った。ラーメンはデートっぽくないし。もうちょっと落ち着いたところがいいと思う、とか。
じゃあ〜自分で探しな〜?と思いながら、地下にある純喫茶に入ることにした。でも地下から地上に上がる階段の風にはくれぐれも気をつけて……。

「みつぎちゃん、階段」
「うん」
「足もと暗くない?」
「うん」
ぬっと手が腰に伸ばされた、こちら無毛のきれいな手である。ああどうしても毛量に注目してしまう!
おいハゲ狭い階段で腰に手回されたら危ねえだろうが、と反射的に恫喝してしまいそうになるのを、すんでのところで黙りこんだ。ハゲは薄暗くなると気がデカくなるのか、と気づいたので、とりあえずグループラインに実況を送ってみた。

『この前のイケメンと昼間会ったけどすげえハゲてたわよ』
『え?ウケちゃうw』
『すべての行動がテストステロン由来に見えます』
『キツw』

茶店に入ってからの会話は、無味であるが無痛ではなかった。真っ暗ではないが光量はひかえめに絞られており、彼の前髪の様子はあまり気にならなくなった。
しかしハゲと話しているという事実がわたしの心を引っ掻き続ける。音楽の話をしたが、一切の内容を覚えていない。おそらくハゲに勝るような強い味わいの趣味ではなかったのだろう。

ハゲだと知って心が折れたからなのか、ハゲだとわかった瞬間興味が失せたからなのか、意識が朦朧としてきてしまった。ごめんほんと眠い、ポケモンでもやってて、と言い放ち、わたしは鞄を抱いて目を閉じた。
唯一覚えているのが、彼がわたしの頬を突いて起こして「そうだこれからカラオケ行こうよ」と言い出したことだ。
「密室無理。閉所発狂しちゃうし」……もちろん嘘である。

『つまんなすぎて寝たわ』
『みつぎさんマジで危ないからそれやめてほしい』
『そーね でもマジでねむくなる…興味ないしあったかいし暗いし』
『薬盛られてんじゃないの』
『ほよよ こわすぎ』
『てか実況しすぎだからw』
『そうでもないと起きてらんない!カラオケだってよ〜また薄暗いところ指定だし深海魚かな?』
『てかマジやばいね腰触るわカラオケ連れ込もうとするわw加速する男性ホルモンえぐすぎわろた ハゲ待ったなし』

最後ダメ押しで爪大きくて綺麗だとか手を繋ぎたいだとか何かと理由をつけて手を触られ、朦朧としたまま解散した。


もうないな〜と思ったので、デート後のラインの文面に悩む。無言で去ってもいいが一言レビューだけ入れておいた。
「触りすぎ」。
正直なところ「何ルーメン何ワット電球ならお前の頭はセーフなん?」というのが本音レビューだったが、さすがにハゲ煽りをしたら最後、いい死に方を選べない気がしたのでこの程度にとどめて送信した。
既読がついたのを確認してブロック。

わたし、陽が射す窓を開け放って、そよ風を感じるのが好き。ふわふわの毛並みのぬいぐるみを撫でるのが好き。
なので、さようなら。