なぎさにふたり

マッチングアプリ文学

侵食と融解

夫と結婚する前、まだ恋人同士だった頃、SNSであらゆる趣味が合う男性と出会った。

会話のきっかけが何だったかもわからない。
おそらくどちらかが投稿した写真に映った絵本が自分の趣味と合っていて、どちらともなく「その絵本、素敵ですよね、残酷で」「透明感と、微量の不穏」と一句詠みあったことから会話が始まった。



あまりにも趣味が似すぎているせいで、どちらが言い出したことかもすっかり曖昧になってしまっている。話者と聴者の境目が溶け出すような会話は、日常における至上の癒しとなり、お互いに「お友達になりましょう」という運びとなった。
異性でこんなに話が合う人がいるなんて、とやっぱりおんなじことを言い合った。

「僕、女性作家のほうが好きなんです」
「だから話しやすいのかもしれません。いつもありがとうございます」
「そう言っていただけて嬉しいです。こちらこそありがとうございます」


やり取りを重ねても外れない敬語が好ましかった。
敬語には話し手のリテラシーが現れると思う。それも、ほんの少しだけ砕けた敬語なら尚更。
尊敬・謙譲の使い分けにも、なめらかな助動詞の繋ぎかたにも知性が滲み出る。わたしは敬語を常用する人が男女問わず好きだった。
「あんまりにも可愛くて、我慢できず連れて帰ってしまいました……小さい時何度も読んだのに」
白皙として空に浮き上がるような文体の最後に、構図に工夫のない素朴な写真がくっついていた。
「いい大人ですけど、好きなので」
フレーム内に写り込んでいるのは、「こぐまちゃんとどうぶつえん(ぬいぐるみ付特装版)」だった。
お互いに写真のセンスが無かったせいで、やりとりには不思議なリアリティが漂った。
嘘みたいに楽しいのに、虚構になりきれていない手触りがあった。

わたしたちは様々な写真と言葉を交換した。

その日買った紅茶の写真。
「いいなあ。ギフトですか」
「はい、お祝いのお返しで」
「紅茶お好きなんですか?」
「さほど詳しくないですが、ウヴァが好きかもしれません」
「覚えておきますね。今度買ってもみます」
「気が向いた時にでも試されてください。お気軽に」

その日食べたケーキの写真。
「知らないケーキだ!でもオーストリアのものならザッハトルテみたいにどっしりとした甘さでしょうか」
「はい!とっても甘かったですよ」
「いいなあ、甘いケーキもいいですし、何より百貨店の中の喫茶室っていいですよね」
「明らかに街のカフェと雰囲気が違いますもんね。客層かな」
「ご婦人がお一人でカップを傾けている様子とか、良いですよね」
「はい……どうしよう。ウインナーコーヒーの口になってしまった……」
「どうぞ。行ってらっしゃい」
「予定あるから今日は無理です。また今度」
「ご報告、期待せずにお待ちしています」

その日買った小説の写真。
「その本、知りませんでした。でもきっとあなたが好きなら僕も好きです」
「ぜひ確かめてみてください。嫌いだったら面白いから」
「面白いです。僕は今、アンナ=カヴァンの氷を読んでました」
「未読です。きっと好きだと思うので、読んでみますね」
「確かめてみてください。嫌いじゃないと思うけど」
「楽しみ!」

会話を重ねるうち、彼は都内の芸術系の大学を出て、音楽をやっている人だと分かった。歳は2つ上。
穏やかな語り口・繊細な趣味と対極と言うべきか、むしろ順当と言うべきか、はげしい神経痛のような音楽をやっているさまが垣間見えた。
演奏の様子を音声で送ってもらったこともある。
「住んでるのは東京ではないんですけど、活動の都合上東京にはよく行くので。お薦めしていただいたもの、次東京に行く時にチェックしてみますね」
彼の存在は虚構の度合いを失っていくが、文体はあくまで透明な温度を保つ。
一定の礼節を保ち、敬語は外れることがない──絶対に外さないでくれ、といつからか思うようになっていた。
「ええ、ぜひ。感想教えてくださいね」
次第に、わたしは自分のことをあまり話したくなくなってきていた。

わたしって何だ?話せることって何だ?
あなたの2つ下で、会社員で、ちょっと不穏な本が好き。ノンフィクションも絵本も読む。

わたしは仕事に悩んでいる。うまいことやれている気が全然しない。たまに泣きたくなる時がある。でもみんなそんなものかな。

わたしは辛いものと甘いものが好き。恋人とこの前、とても辛い麻婆豆腐を食べた。食べおわったら二人ともぐったりとして、部屋でタオルケットにくるまって眠った。気絶に近い。

わたしはお酒もほどほどに飲む……最近、恋人のおかげで、おいしさがわかってきたところだ。ビールって苦いだけじゃないんですって。知ってた?

「そういえば、今まで名乗らずによく会話できてましたよね。仕事柄気にしがちで。登録名がイニシャルだけですみません……僕、名前『 』って言うんです」
恋人の名前と同じ名前だった。同じ漢字で、同じように読んだ。

名前がわかれば、彼のバンドの公式サイトも見つけてしまった。顔もわかってしまった。長い前髪に細長い身体、骨ばった腕で楽器を弾いていた。
「素敵な名前ですね。よくお似合いです」
埋めてはいけないパズルの、最後のピースが嵌まってしまうような恐怖があった。うわごとめいた返信の直後、咄嗟にわたしはその人のメッセージを全て消し、SNSのアカウントも消してしまった。パズルの完成を待たずひっくり返した。改めて見返さなくても、出来上がったパズルの絵図なんて想像がついたとも言える。

東京に行くから、都合がつけば会おう、などと誘われたわけではない。敬語が外れたわけでもない。
ただ彼の存在が血の通った現実のものだと思い知るのが怖かった。

慌てて恋人に連絡をとった。突然の電話だったが、恋人は驚きもせず「週末何しよう。観たい映画ある?」と普段通りの落ち着いた調子だった。
「ない〜……合わせる」
「ええ、難しい……別のことする?」
「じゃあ、公園でピクニックしよう。お外でキャロットケーキ食べる」
「キャロットケーキ?食べたことない。おいしそう」
「おいしいよ。ぎっしりしてるの。好きだと思うもん」
「楽しみ。多分好きだな」
「でしょう?自信ある。多分じゃなくて、絶対好きだよ。胡桃もレーズンも入ってるやつがなお良い」
電話の向こう側、「レーズン、すき」と恋人が声をあげる。
わたしの世界でその名前の男性は、恋人だけで良かった。だから、わたしのできる範囲でわたしの世界を調整するしかなかった。

反省

自分と同じ趣味で自分と同じような話し方で、自分の好みの外見で、恋人の呼び慣れた名前と同じ名前の男性と繁くやり取りしてて好きにならないの無理では?という話でした。
あ、これ、友達とか無理かも、と直感して一目散に逃げてしまいました。

所々フェイク入れてるんですけど、当時のこと思い出すとやっぱそれなりに情緒がこう、あまく、グラ……となります。恋愛って幻覚みてありもしない勘違いしてぐらぐらしてる時が一番気持ちいいんですよね。

条件さえ揃えば人は間違えてしまうし、人は部分的にしか知らない人に対して都合の良い幻をみるので、条件を揃えないことや、他人について知る機会を統制することが大事だと思っています。

それにしても、まさか自分がこんな簡単にぐらつくと思いませんでした。多分、オタクだから幻覚みるのは得意なんですよね……オタクは片想い上手。

まだ結婚してもいないのに、相手のことそんな警戒する事ないじゃん?勘違い乙♬と思われるかもしれませんが、違うんですよ。わたしが警戒してるのは、相手ではなく自分自身です。
いつまでに結婚するというロードマップが一瞬の気持ちの傾きで台無しになっても仕方がないので、芽を摘んだような形になります。ちゃんと好きな恋人なのに、自分の発狂のせいで別れて別の人探すの、いやでした。てかね、そう、勘違いなんですよ。全部わたしの一人相撲。

でも既存の関係を本当に台無しにするのって、不都合な事実よりも、気持ちのよろめきです。

わたしは学生時代へし切長谷部を好きになりすぎてしまったせいで付き合ってた男性と別れたことがあるのでわかります。身体の不貞よりも既存の関係の軽視が破綻に至らしめます。

逆に身体の不貞があっても気持ちがよろめかず関係の軽視が起きなければ問題に発展することがないと理論上言えそうですが、大概の場合において不貞があったとき既存の関係の軽視は連動して起きてしまいますよね。

あと我ながら怖いなと思ったのが、もしわたしが恋人居ない時期に彼と知り合っていたら、こんなにぐらぐらしたか?という問いとその答えです。

多分、わたしはここまでぐらつかなかった。おそらく、自分でも気づかないうちに比較していました。恋人では届かない位置、触れられ慣れていないやわらかい部分に彼の指が掠めるような気がした。普段したいとも思わなかった会話、諦めていた会話があったと気付かされるのが、すごく怖かった。自分の話をしたくなくなっていたのは、それに対する一種の防衛だと思います。

難しい。こと恋愛、異性関係においては、あまり自分を信用しないようにしています。