なぎさにふたり

マッチングアプリ文学

虫愛づる姫君

※本記事は性的な表現、ショッキングな記述を含みます。

目の前の相手のこと、ちゃんと好きになれるかもしれない。とはいえ、身体を渡す時はやっぱり諦めの匂いがしたはずだ。馴れて痛みが消えたとしても、内臓が擦れ合うのはやっぱり怖い。肉の裏側が光に触れれば、見る影もなくおぞましい。自分の知らない体液がこぼれると、気分が悪くて涙だって流したい。
心は、息をひそめて折り畳まる。限りなくちいさくなって、時がすぎるのをまつ。途中で我にかえらないように、何もかも感覚で上書きして欲しいのに。心なんて何もかもわからなくしてくれたら助かるのに。真っ当な人間ほど、ほんの欠片程度残した「わたしという心」の機嫌を取ろうとするから、わたしはついぞ正気を失えない。痛くないかなんて聞かないでほしい。気持ちいいかなんてわからない。だって判断をしたくない。求められないのも不安なのに、いざ始まれば早く終わってほしい。
何もわからなくなりたい。なにも理解したくない。

だから、人間性の剥奪を希求する。


初めてそういうシーンが出てくる本を読んだのは、小学1年生、7歳の頃だった。
その時のわたしは新しい言葉や新しい漢字を覚えるのに必死で、辞書を読み、パンフレットを読み、漫画を読み、人の本棚を漁るといった具合であった。

五番目のサリー。父の本棚にあった本をわたしは漢字学習のために選択し、漢字以外のたくさんのことをその本から読み取った。
今思うと、金策に興味のある父には不似合いの、人の内面の分裂や統合を描いた話であった。本をそもそも読まず外交的な母にも不釣り合いな、きわめて内省的なものでもあった。誰かからの貰い物か忘れ物、押し付けられた古本だったのかもしれない。
わたしがその本を読んだと報告すると、母は「ハリーポッターも読んだもんね。本たくさん読んですごいね、えらいね」と言って褒めてくれた。とても嬉しくて、お母さん、と抱きついた。知らない言葉は辞書を引けば大体わかった。けれど、サリーの何番目かの人格が相手の男性器を触りながら物を強請る道理はついぞ理解できず、とてつもなく異常に見えた。真似してはいけないことだと直感したので、母にも父にも黙っていた。ああ、あれは不気味な儀式だ。女の人があれをすると男の人が言うことを聞くらしい。なんておどろおどろしい、悪いこと。

そして、程なくして中学受験を志す。

中学受験国語と切っても切り離せないのが作家「重松清」である。
ナイフだか疾走だかエイジだかを読んで、苛々と熱の滲む精液の匂いを、文字で知る。こんどは池袋ウエストゲートパークも娯楽目的で買って読むと、冒頭からさっそくおじさんの性器を口に入れてあやすことでお金を稼ぐ少女のシーンが出てきた。
いよいよ訳がわからない。保健体育で習ったが、子どもを作るための行為が性交なら、子づくりのためには一切必要のない、単なる残酷な行為に思えて本を閉じた。栄養を摂取するところに、排泄をする部位を突っ込むなんて頭がおかしい。吐きそうだ。続きはもう怖くて読めなかった。
少女を支配して暴力をふるうためにお金を払う人がいることを知って、幼い頃のわたしはびっくりした。なんてことはないエンタメ小説の一幕が、心の隅に染みをつけた。

得てして性の目覚めには大概自罰の感情がついてまわる。両親から本の感想を聞かれないことにわたしは安心していた。単に父も母も本の内容に興味がなかっただけなのだが。
帰り道、雛鳥が巣から落ちて死んでいたら親に報告するような子どもだったのに、捕まえたバッタの脚がもげたらわざわざ死骸を持ってくる子どもだったのに、人が人にいいように扱われる様子だけは口にすることができなかった。

そして中学生にもなれば漫画アニメ音楽にハマり、個人サイトを作ってみたり、二次創作デビューをしてみたり、恐怖した反動とも言える勢いでポルノなポップカルチャーにのめり込んだ。

月蝕グランギニョル

月蝕グランギニョル

亡國覚醒カタルシス

亡國覚醒カタルシス

薔薇獄乙女

薔薇獄乙女

薔薇だの憂鬱だのという漢字は歌詞で学んだ。当時新しいものは大体エロく、グロく、悪く、醜くって美しかった。
目を向けるのも嫌だった悪いものを、目に入れても平気なように馴らしていく。知れば怖くなくなる。そう信じて、半ば強迫的に猥雑なものを取り込んだ。
Filth in the beauty-Auditory Impression-

Filth in the beauty-Auditory Impression-

体温

体温

妄想日記

妄想日記

  • シド
  • ロック
  • ¥255
7-seven-

7-seven-

音楽は屈折した性行為と執着と暴力を甘く歌ってたまに絶叫。
二次創作をしているお姉さんたちは萌えの名の下にいかがわしい目でキャラを見て、作中で活躍するキャラクターをこれでもかと辱めた。
友達に誘われて始めたmixiでは、おにいさんおじさんたちが善意を装って「漫画好き?俺も好きだよ どんな漫画が好き?」「音楽好き?俺も好きだよ どんなバンドが好き?」と言って若き我らの機嫌を取るべく、メッセージを繁くよこしてきた。面白い。同い年くらいの女性とお話しされたらどうですか。
「最近好きになっちゃって…。あんまり詳しくないので、教えてください」
わざといやらしいことを言わせてBANをする遊びはこの頃覚えた。条件さえ揃えば進んで間違う大人の多さが楽しかった。
人や暴力の機序を少しでも多く知れば、傷つけられずに済む。わたしは怖かった。ずっとずっと怖かった。優しい大人が好きだった。
お父さんもお母さんも優しい。帰りが遅くなれば迎えに来てくれる。遊びに行った時もだ。だから心配かけるまいと、わたしも門限は絶対に守っていた。
制服を着ているのに、たまに変な大人の男の人に声をかけられた。突然目の前に停まった車から顔が覗き、乗っていかない?と言われたことがあった。わたしだけでなく、きっと女の子なら誰しもが味わう悪意だ。
わたしは一人なのに、男の人複数人で声をかけられて、無言で逃げた日もあった。
無力だと侮られて、騙されるのは嫌だった。都合よく使われるのも嫌だった。愛だなんだと嘘をつかれ、裏切られるのも嫌だった。
だから支配する側になって、安心したかった。

そういった確信を得て、かつて大好きだった推しとわたしは出会った。わたしは飽きてすっかり別の音楽を聴いていたし、彼の引退公演で「ごめんね…泣かないで」という言葉と共に手渡されたものだけ、アナスイの財布の中でちいさく場所を取っていた。
長い前髪、涼し気な目、大きく通った鼻、ふっくらとした唇、気だるげな声、薄い身体、高い身長、節くれだった指。
かつて憧れた人間が、条件さえ揃えば間違う人間であるという事実が、わたしの幼くて狭い脳を芯から熱くした。
挨拶をすると、彼は「はじめまして。かわいいですね」と笑った。
初めてじゃないのに。なんておかしな人なんだろう……わたしはいつしか、相手の善悪を試さないと満足いかない身体になっていた。

会話から行動まで、わたしは相手のすべてを肯定した。何ひとつ間違ってない、あなたの幸せがわたしの幸せ。そうやって引き起こされた相手の増長や間違いを積み上げて、自分の身体を害さずに済むタイミングでことを起こす。
推しは事務所を解雇され、再開した活動も辞めてしまった。わたしで遂げようとしたことを他の子で遂げているのなら、牢屋に入るような悪いことをしていたわけだけれど、わたしは自分が被害者になるのは嫌だった。決定的な暴力をもらって警察に行くのではなく、もうすこしソフトな締めくくり方を選んだ。
「男の人…まだ好きじゃないけれど、興味あります。好きになりたい。全部知りたい。ぜんぶみせてくださいね」。
推しは間違えた。やっぱり間違えた。推しのサイトが消えた時の、わたしの気持ち。
女子代表として復讐を果たせた?
好いた惚れたという情のやり取りではなれなかった推しの唯一になれた?
かつて圧倒的に優位にいた相手の行動を操れた?
かつての崇拝に惑わされずに相手を殺せた?
相手の神性を剥奪できた?
支配と統制の喜びだけが、わたしの心を満たしてくれた。今回もわたしは、殺されずに済んだ。
無力なわたし。騙されて、犯されて、奪われて、殺されるかも知れなかったのに、ちゃんと助かった!
わたしは制服を脱がなかった。推しは王子様や神様の類だったのに、あの日ただの害虫に成り下がった。


悪癖が治ったのかどうか、今もわからない。
その後わたしも幾人かの男の人とふつうに交際をした。n人目の男と結婚する、ふつうの恋愛・ふつうの結婚のロードマップに沿って、逆算的にだが男と付き合っておかないといけない気がしたからだ。抱かれて罪に問える歳でなくなってしまった。だから、ふるまいを変えなければ。
かつては身体に触れさせないことで価値を確立していた。今度は身体を許すにしても、どのラインを守れば価値を毀損せずに済むか。

それでも、だからこそ?初めて恋人となった男と寝る時、ああ、ここで一度わたしは死ぬのかな?と感じた。
皮膚に沸いた害意を取って潰すのではなく、いまここにいるわたしは身体を放り、今度は害意に食われるのをまつ。虫が這う。虫に抱かれる。なるほどね。
悪意の受容でしかなかった。今ここであなた相手なら傷つくことも已む無し、と諦めることでしかなかった。かつてのイカれた支配欲求を手放すことでしかなかった。

当時の恋人は、大きな身体に似合わず、繊細な男だった。聡く、静かで、ギターが上手い恋人だった。
別れる時は、思い出がたくさんあるから、と言って泣いていた。俺は君みたいに強くないから、と帰る道すがら宣った。
話の最中は拗ねた顔して黙っていたくせに、何こいつ。最後の最後まで劣等感まみれでムカつく男だ。
「君は卑怯だね」と肩を叩いた。ちびまる子ちゃんの永沢くんみたいな感じ。
「わたしもおんなじくらい悲しくて寂しくて不安なのに。君はそんなことも汲んでくれないんだね…」
喉を鳴らして彼はまた涙を溢した。
だって全然違う。ズレズレだ。君は賢くて強くて、わたしは弱くて愚かだ。だからこそ幸せに生存するために、万事有利な男に背乗りする。
何年か付き合ったのに、そんなこともわからないなんて。
傷つける

傷つける

でも、しかたがない。虫食いになったらなったなりの、事の進め方がある。
わたしは電車の中で、当時生まれたばかりのマッチングアプリをダウンロードした。


考えるに悪癖は、致命的な過ちに巻き込まれないための適応的な戦略だったようにも思うし、近づく必要のない悪のみぎわに身を置いて、高波が迫るごとに騒いでいただけなのかも知れない……とも思う。大人になった今でも、何も自分がわからない。

ひとつだけ言えるのは、如何なる敵意害意悪意も、浴びせられるとひどく興奮したということだ。
「知らないなら教えてあげる」「かわいいね」「俺は違うよ」「安心して」「仕方ないな」「お前男の趣味悪い」「自分は絶対そんな酷いことしない」
訳のない優しさだ。
理由なく優しくされればされるほど、裏にある悪意を期待する。この人はわたしに理不尽を教えてくれるのではないか?

何もあげたくないから、何でもしてあげられる気がする。だけれど奪われないと本気になれない。
わたしに、支配と統制を諦めさせて欲しい。だけれどわたしはあなたを乗っ取らないと安心できない。

マッチングアプリ文学は、こういったアンビバレントな欲に折り合いをつける間の、出会いの記録です。