なぎさにふたり

マッチングアプリ文学

匂い立つのは嫌悪感

ちゃんと生きていると他人を嫌うにも口実が必要で、まともに生きていれば誰かを好きになったときすら、明快な論理で周囲の人間を説得しなくてはならない。この人は愛に足る他人なんだって伝えないといけないし、わたしがこの人を嫌うのも道理と誰かに理解されておかないといけない。
わたしは自分を成熟した大人だと思ったことなんて一度もないけれど、先述のルールに沿って生きることが大人の条件だと思って、拙いしぐさでそれを続けてきた。上手く伝わらず涙することもあったし、最初から半ば諦めて胸の裡に嫌いと好きを育てていたこともあった。


この人、なんとなく苦手だな、と思うことがある。
きまって小さなきっかけで、出会った最初の瞬間に感じるから、きっと「匂う」という言葉が相応しい。
苦手の匂いは、「ドアを次通る人のために押さえて開けておいてくれない」とか「店員さんにため口」とか「女の子はうまくバカな男を操縦してくれたらいいからwみたいな慈悲的性差別しぐさ」とか、理解を得やすい明瞭な行動にはじまり、もっとあいまいで理解を得にくい「なんとなくの態度や言葉遣い」で直感することもある。
ある程度の匂いは慣れてしまえば感じなくなる。だから最初に感じる匂いの感覚は、好悪の判断を行うに重要な手がかりとなり得るのだ。

マッチングアプリ時代に育てたスキルに、「嫌悪感の想起速度」がある。先述したようにわたしは一見非難に値しない相手の態度や言葉遣いから、「この人は仲良くなっても自分が辛いだけだ」と匂いを察知し、判断するのが早くなっていた。
たとえば、「俺お姉ちゃんいる?ってよく聞かれるんだよね!本当はいないんだけどね?……」と語る男に、ズレた気遣いを見出して不快になったり。
だってこの人多分気遣いしてる事実に酔ってて、ほんとに相手が助かってるかどうかは理解できないタイプだよ、って断じたり。
万人と仲良く、人には嫌われないように!を善とする価値観からすると、到底褒められたスキルではないのは理解している。嫌悪感を感じておくことで、先んじてぶつからないよう距離をとるという対策を打つことも可能だが、冒頭に記したとおり、他人を嫌うのにも相応の理由がないと社会から理解してもらえず、「こいつは呆れたわがまま女だ」と評され、最終的にわたしの人間性評価を毀損する。
だがマッチングアプリの人間関係において、「社会とのバランス」はあまり重要ではない。どこかのコミュニティ内で恋愛するわけでも、誰かの紹介を受けて恋愛するわけでもないので、関係性の説明責任は免除されている。
何が気に入らなかったのですか?どこがだめでしたか?相手の男からフィードバックを求められることはあれど、こちらに回答する義務はないし、善意で説明こそすれ相手からわかってもらう必要もない。わたしは存分に「気に入らない」のセンスを大いに鋭くさせたのであった。

(あ、無理かもな、と思うや否や男性ユーザーを切っていた。マッチングアプリ文学として載せているのは、電話やメッセージでは匂わなかったので会ったが、実際会ってみたら匂いすぎワロタ、となった事例をまとめている。)


するとどういう問題が起こるか。マッチングアプリを辞めたあとも、「なんかやだなぁ」の反応速度は衰えなかった。先日、ツイッターで繁く話していたユーザーをひとりブロックした。

彼も最初から匂っていた。距離の詰め方が不思議で、別のサービスで使っていた名前をわざわざ呼び、わたしが特定の何かに対して持つ敵意や反感に対して同調をするわりには理由を捉えていないようで、彼の「わかる」は一方的で、独りよがりだった。
わたしの意見は、彼自身の理解を述べたり、彼の野蛮な自論の補強のための道具にされているような気すらした。でも、きっとこれは仕方ない。ネットに意見を書くと言うことは、誰かに意見を利用されることでもある。感銘を受けるのも、憎悪するのも読み手の自由だ。これはわたし自身の責任である。
それに慕われるぶんには気分も悪くなりようがなく、罷り間違えれば仲良くなれるような気もうっすらしていたが、それと同じくらい「いつ切ろうか」と考えていた。何かがおかしかった。

思えば切る理由をずっと探していたのだと思う。
わたしの世界はネットだけではないから、よっぽどクリティカルなことがない限りは動くつもりはなかったが、彼の存在はずっと視界の端にある異物のような感じがしていた。ミュートした。なのに彼はわたしのほぼ全てのツイートにハートを飛ばし、わたしのインターネットライフから存在感を失うことはなかった。

以前、彼は東京に頼る大人が居ないと言ってわたしにDMを飛ばしてきた。心底哀れだった。若く、弱い。道徳の足りない大人に甘言を弄されて搾取されるさまに心から同情したが、別に特別な気持ちがあったわけではない。わたしはおそらく、どんな人間であっても、ダメな企業に擦り潰されそうになっている姿を見れば素人のできる範囲で手を差し伸べる。あなただって、道に転んで荷物を散らす老婆がいたら一緒に物を拾い集めるだろう。それが社会で生きるうえの、義務だから。
彼に傷病手当金の申請と離職に向けた一般的な手続きについて教えた。まずは両親に連絡を取り、離職後の衣食住についての合意を取り交わすことを勧め、そして回復のためには眠る時間をKPIに設定したほうがいいと助言した。彼は「誰に聞いたらいいかわからなかったから助かった」と返事した。

彼の投稿の中に、性差別的な単語を見つけた。若い時分に魅力的な外見を用いて男性側から便益を得ておきながら、適齢期を過ぎたあたりで「あの扱いは屈辱的だった」として意見を主張する女性を揶揄する、あの単語である。
ああよかった、と安堵した。わたしの嫌いな言葉で、わたし以外の人たちも嫌悪感を持つであろう酷い言葉だ。人前で言ってはいけない言葉だ。差別的で、問題を矮小化する、愚かな言葉だ。よかった、彼はこの言葉を痛快だと思う側の人間だと表明してくれた。

「考えが合わない。度し難いからブロックしちゃったあ」。彼に見えるようにツイートした。
落胆しただろう。自分のどこが悪い?と考えただろう。同じくらい、自分は悪くないと思い直しただろう。第一そんなつもりない。軽い気持ちで言っただけだ。メンヘラアラサー。おまえも繊細様側かよ。限りなくネガティブに想定すると、こんなことを考えるはずである。


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きみは、なにをわかったの?届かないとわかって質問する。