なぎさにふたり

マッチングアプリ文学

醜形恐怖症の彼

コロナが人との関わり方を決定的に変えてしまうよりも前のこと、よくもまああんなに気軽に人と会っていたものだと思う。

マッチングアプリをやっていた。結構本気でやっていた。その証拠に、毎日プロフを変えまくった。大したことない人間だからこそ、最初の1週間で最速で何百いいねを叩き出して箔を付けないと、結果にコミットできないと思っていた。

あー、あしたの朝起きて石原さとみになっていたら!でもわたしは石原さとみではないし、砂金ほどのしあわせだって、これでもかというくらい川底を浚わないと一粒だって見つかりゃしない。わたしはわたしで、超焦っていた。

プロフの一文目はもちろん「Q.誰に似ているでしょう?」に決定だ。クソみたいな質問には、クソみたいな回答がたくさんつく。誰相手でも、最初はクソみたいな問答から始まる。例外はない。大体最初の話題をそれに限定しておけば、進捗管理も容易になるからだ。

このクソみたいな符牒すらやりとりできない人間はそもそも恋愛に向いていない。あらゆる会話はクソ質問とクソ回答から成るのを、そいつは忘れているからだ。



出会うにはこれしかないのだ、と全適齢期が焦る前のマッチングアプリは、友達が少ない人のためのものだった。
友達が少ないオタクはもちろん、ヤリチンだって友達が少ないタイプのヤリチンだ。恐るるに足らず。

別にそれで構わなかった。休日に友達とスポーツをして飲んで帰ってくる人なんて多分わたしのことは本気で好きにはなってくれない。
彼女の機嫌をとるうちに自分もディズニー好きになってしまった人なんて、わたしの粗忽さに呆れかえってしまうだろう。
わたしは毎朝髪も巻かないし、ディズニーなんて好きじゃない。雨降ったらおしまいの娯楽なんて、娯楽じゃない。家で温かい飲み物をいれて、映画を観たほうがいい。お化粧もスキンケアも、やっぱりちょっとめんどうくさい。


話を本筋に戻す。兎にも角にも、コロナ禍の前のマッチングアプリは、インキャだけの仮面舞踏会だったのだ。

彼は「A.誰に似てるかはわかりませんけど、二重が綺麗ですね」と答えたのち、「でも面白い人だから話したいなと思いました」と続けた。
わたしは、その回答が心から興味深いと感じた。

わたしのまぶた。自慢の左まぶたに合わせたデザインで、右まぶたを折り畳んでもらった。誰もが気づかない、完璧な整形だった。
ふだんの化粧に工夫が要らなくなる最高のライフハック。そしていつしか整形をしたことも忘れ、加齢によってこの目になったかのように生活している。

医療の手を借りた外見であるという負い目もなく、かといって心血と金を注ぎ込み得た勲章であるという自負も当然なく、整形したという事実はなだらかに日常に埋没していった。

「まぶたに注目するなんて!繊細なセンスで素敵ですね」とわたしは返した。



彼は明るく、多弁だった。IT系の仕事をしているらしく、当時珍しかった在宅勤務も積極的に活用していると言っていた。気乗りしないならアプリ内でやりとりするから無理にLINEも交換しなくていい、という気遣いも見せてくれて、やっぱり繊細な感性があるように感じられた。

彼はお笑いが好きだと言う。なんでも以前は演者側をしていたこともあるらしい。

「笑わせる側に回るなんてすごいね」
「まあ、俺は意外と性格悪いからね」
ユーモアにコンプレックスや偏見は不可欠であるとわたしも思うから、彼の意見には納得した。


気安いやりとりを重ねたせいか、なんとなく初回のデートの場所決めはわりかし雑なもので、我々は新宿あたりで落ち合って、中華料理を食べることにした。

細身の彼は真っ黒い服に真っ黒なコートを羽織っていて、なるほどIT系ってこんな感じか、カジュアルなのね。わたしはひとりで得心した。
そして、すこし俯き加減。普通の人に比べて、ちょっと目が合わない感じ。目が合いすぎる男の人は高確率で身体にベタベタ触ってくるから、それに比べたらマシなのだが。

「今日もお疲れ」
ジョッキを掲げ、先に声をかけたのはわたしの方だった。彼はぎこちなくはにかんで、「おつかれ」と言った。


ビールも2杯目に差し掛かると、彼はアプリ内同様によく話すようになり、徐ろにこう切り出した。
「いいなあ」
「何が?」
「目。綺麗な二重でいいなあ。写真通りきれい」
「〇〇くんも二重じゃん」
「俺なんて」

俺なんて、ゲロブスですよ。

彼は確かにそう言った。文字で見ることはたまにあっても、声に出すとここまで悍ましい響きだとは思わなかった。
マッチングアプリ、度の過ぎた自慢に出会った時の対応は想定していたのだが。度の過ぎた自虐に出会った時の返答について、全く考えていなかった。


「え……わたしはそうは思わないよ。体型だって、気を遣ってるの伝わってくるし」
「ヒョロガリチビだよ。本当は背だって欲しい」
「そんなに小さいかな?プロフィールでは170cm以上だよね?」
「うん?でももっと欲しいよ。そっちは160以上あるんでしょ?いいなあ。それだけで切られることないじゃん」
「え、あぇ、そうなの?」

だめだ。何もいい感じの返答ができない。おずおずと視線を移すと、彼は笑っていた。

「俺さあ170cmないんだよね。本当は168cm」
あれ、もしかしてこの流れはヤバいのでは。わたしもいいねを返す時は170cm以上に設定していた。

「170cmないと切られるからね。俺は170cmで登録してんの」
ヤバい。やはり見透かされている。
悪びれず嘘を告白してきたことに対する怒りよりも先に、170cmだか168cmだかも見分けられないくせに170cmで足切りしている自分を責められている気がして、思わず閉口した。

「そ……そうなんだ。中々厳しいんだね。平均身長の標準偏差の範囲内だと思うけど」

「写真もさあ、写りいいやつ選びに選んで。もう整形しちゃいたいよ。だって俺、ブスだよね?骨切って輪郭直したい。鼻もキモいし不快な顔面」
「いや、そんなに……?でもなんでそんなに整形したいの?お金もかかるし、骨なんか切ったら超痛いよ。ダウンタイムもすごいんじゃない?」
「いやいやいや。そっちは困ったことないからわかんないんだよ。ブスは差別されるよ?」
「ええ……?」
「顔が綺麗だったら強くなれる。男からも女からもナメられないし、見下されない。もっといい女の人とも出会える。もっと綺麗で、もっとスタイル良くて」
「え?ええ、ちょっと待って……じゃあ今ここで出会ったところでめっちゃ無意味じゃない?」

思えば、ルッキズムの化身。近年よく見る整形垢の人の論理だった。

「何が?」
「いや。やっぱりそれおかしいよ。整形終わったら顔変わっちゃうんでしょ?」
「そうだけど」
「顔が変わったら出会う人種も人生も変わって晴れて劣等感もクリアできると思ってるんでしょ?」
「うん」
「じゃあ今の劣等感まみれの状態で恋愛なんかしないでよ。こっちからしたら迷惑だよ。出会う人種も人生も変わったらそれに合わせて恋人も変えるんでしょ?いずれ切る前提で自分の人生に相手を付き合わせるのはメチャクチャ不誠実。クソクソ自分本位。この身勝手野郎」
「だって恋愛だよ?結婚じゃあるまいし将来を約束するなんて……それまで俺は誰とも分かりあうなってこと?」

いつしか当惑は消え、わたしの中にあるのは怒りであった。

先述したような相手の不徳を指摘したい気持ちもあるが、何よりも「今わたし遠回しにブスって言われてるじゃん。コイツの目指すところはどのレベルの美女だかわからんけど足るを知れよ。コイツ自虐しすぎて周り巻き込んだ他虐になってしまってるじゃん」という怒りがわたしを突き動かした。

「帰る。さよなら。お会計よろしく」
ムカつくので伝票は置いて帰った。わたしのこと不快にさせ罪で罰金刑だ。

「さっきはごめん。俺はみつぎちゃんならわかってくれると思ってつい話しすぎちゃった。気が合うなと思ってたから……」
言い訳のメッセージがトーク欄に並ぶ。
「以後気をつけます!今後は直すので!」

爽やかな謝罪。言いたいことはたくさんあったが、伝わる気がしなかった。

「え?最初に直すのは顔でしょ?その次に背だっけ?」


彼が「上」を目指すのはおおいに結構だが、下から上を目指す都合上、人に上下をつける必要があったのだ。
積極的に自他の粗を探して、粗の数でランク付けする。あまりにも残酷な階級意識をまざまざと見せつけられ、混乱した。

素直ぶって「そんな偏見やめようよ」「人は見た目じゃないよ」「話せばわかるよ、人は中身」なんて言えるほど、わたしは幼くもないし清廉でもない。
だいいちわたし自身がなんの躊躇いもなく170cm以下の人を弾いていたのだから。

しかしわからない。劣等感まみれの現状、妥協で女と付き合って満たされるものなんてあるのだろうか?ふとした瞬間に「うわっ!コイツ寝起きブッサイク!てか俺、なんでこんなブスと付き合ってんだろ」と思うのではないだろうか。

顔が良くなった時に付き合う女と比較して、「俺ってイケメンになったんだなあ」としみじみと思いを巡らせるために使われるのだろうか。

でも一度ついた粗探し癖って簡単には無くならないと思うけれど。この人はたぶん美女にも簡単に幻滅する。

「頑張れ!イケメンになってね。わたしも整形したことあるけど、たぶん性格はあんまり変わらないよ」

言い逃げてブロック。
かくして、彼は顔の悪さではなく性格の悪さでわたしという凡な女を逃した。
たとえわたしがどんな顔してようが、劣等感のサンドバッグになんてなりたくないからね。