なぎさにふたり

マッチングアプリ文学

あまりにも私服がダサい彼

もう何年まえになるだろうか。当然コロナ前ではあるのだが、あまりにも私服がダサい人とマッチングアプリで会ったことがある。
わたしはダサい人が嫌いだ。じゃあダサいの定義って何なの、月にいくら金使ってたらダサくないの、と言われそうだが、わたしの基準はきわめて曖昧だ。言語化するにもとても難しいので、まずは頭の整理に付き合って欲しい。
わたしは「あっこの人ダサい」と思った瞬間、逃げたい、もうデートできない、に繋がってしまう。
以下に逃亡事例を挙げる。

例: 2013年に誰もがこぞって着ていたダンガリーのシャツに、平成のギャル男が履いているような紫のピタピタスキニー、激ダサのマリアージュ。よくいる普通の真面目そうなオタクくんの顔をしていた。メガネは四角い黒いふち。なぜその服?
→待ち合わせ場所でキョロキョロしている彼を見つけ、アプリ内メッセージ機能で「あれ?本当に待ち合わせ場所にいますか…?あれっ?〇〇駅じゃなかったですっけ?わたし、場所間違えてしまったみたいで……本当にごめんなさい。リスケさせてください」と言い残してフェイドアウト

何度読んでも我ながら酷い。いくらなんでもかわいそうだ。でもなぜかこの服を着ている人間は、ほんとうに、無理なのだ。隣を数時間歩かなければならないと思うと、クラウチングスタートでその場から走り出したくなってしまう(いますぐユニクロマネキン買いして欲しい!とすら思っていたが、最近のユニクロのマネキンは異様な重ね着を強いられており、現実的ではない)。

そして、我ながら何より面倒なのが、過度に服好きであってほしいわけでもないということだ。
まず、これは持論だが、独自思想に偏り過ぎたおしゃれは怖い……ような気がする。そもそも、おしゃれは時流やトレンドとの相対がキモであるからだ。トレンドを拾いすぎて「流された」ような格好になると「ダサくはないがいくらなんでも没個性」「若づくり」になり、逆に昔オシャレとされた格好や独特な格好を意固地にも続けていると「ダサい」となるのだ。
20代も半ば過ぎた人にとっては、トレンドを取り入れすぎるのも良くないし、「ちょうど良さ」を随所で意識するのがおしゃれなのではないかと考えている。
ここまで細かく述べてしまえば「じゃあご高説垂れてるお前はどうなんだ」となるだろう。わたしも一切自信はない。自信はないが、「これは似合う」「これは流行っていようが似合わないので避ける」「めっちゃ好きだから小物で取り入れる」をチマチマと経験知として貯めており、まあ、大きく外さなければいいかという感じで毎日服を着ている。
そんな具合なので、わたし自身は「都市迷彩としてのUNIQLO」を心から愛している。UNIQLOでサイズを吟味して尖りの一切ない服を買い、尖ったブツと合わせるのが他者からの認知を害しすぎなくていいんじゃないかという思想である。要はベースは背景と溶け込む服を買い、要所で「じつは背景じゃないです、私こういうものです」をこっそり主張しようというもの。

従って、ダサさとは「周囲(背景にいる人間)のトンマナと比較して、過剰に効き過ぎたコントラスト」だとも思えてくるのだ。
服が古すぎたり、珍妙すぎたり、派手すぎたりすると他の背景と化した周囲の服より明らかに浮き、見ている側のわたしの脳に負担をかける。江戸時代からタイムスリップしてきた武士を隣に並べて歩きたくないのと同心円上にある感覚で、わたしはダサい人の隣を歩きたくない。へんに目立ちたくないのだ。なお、兼ねてより申し上げている「あからさまに目を引く派手めなイケメンを見ると怖くてたまらなくなる」という癖や「自分より背の低い人とはデートどころではなくなる」のも、この「背景溶け込み」への執念が関係している気もする。性根が地味な感性をしているのかもしれない……本当?

嫌いを言語化できてきたので、冒頭にある「あまりにもダサい彼」とのデートの話をしよう。彼も「今その服どこに売ってんだよ」を地でいく人間だった。
当時マッチングアプリ生活もn年目に突入し、自分の地雷もありありと理解できてきたので、あの頃のわたしはあからさまにダサそうな人間をビシバシとNOPEしていた。今更マッシュかよ!自称綾野剛似はヤバい!ところでそこの君その不思議な色のコートは何!?てかこっちの人のメガネわたしの上司のメガネにそっくり!……みたいな感じで。なのになぜ彼と実際に会い、互いに地獄のような逢瀬となったのかを記していく。

彼は183cmの身長と恵まれた骨格、難のあまりない顔立ち、そして極め付けの高学歴高年収から、女性からのいいねをほしいままにしていた。どこかの俳優にも似た涼やかなまぶた、落ち着いた瞳、意志を感じるが濃すぎない眉毛、無個性だが邪魔にはならない鼻口。写真で盛られている部分もあるだろうが、おおよそ嫌悪感を持たれることはないであろう、好青年(29さいのすがた)という具合であった。何より女性の目を引いたであろうのが「スーツで椅子に掛けている全身の写真」である。写真の中、くつろいだ様子で彼は長い脚を放り、どこともなしに微笑んでいた。
そんな様子でありながら彼はわたしと非常にノリが合う、意外にもオタク寄りの人種であった。ゲームをつくる仕事をしているらしい。「なんかパソコンゴリゴリ使うし最先端でおしゃれでかっこいいかなと思ってこっちの業界選んだよね、今思うとしょうもなさすぎ」という彼の発言に、あの日のわたしは違和感を見つけることができなかったのである。
……いやあ、騙された。騙されたという言い方は良くないが、騙されたとしか言いようがない。

電話も一度していたし、その時ノリもいいかんじだったので、特段緊張することもなくわたしたちは六本木に集合した。ちょっとしたランチからスタートとのことだったので、10万円ぐらいで買えるちゃんとしたトレンチ・フィットする系のニット・足首が出るパンツ・ローヒールのパンプス・ローズゴールドの細めのアクセサリーいくつか・レザーの小さめの斜めがけ・フェイス大きい時計を外しで入れる、というあまりにも無難な服を着たわたしの前に現れたのが、以下の彼である。

・キーネックになっている謎の英字Tシャツ(オフホワイトにワイルドなフォント)。もちろん、キーネック部分にはヒモが通っている。RPGで木こりとか村人Aが着てるあのトップスみたいなヒモである。
・赤いチェックの妙にシェイプされたシャツ。パチンパチンと止めるタイプのボタン。agnès b.のカーディガンプレッションみたいなあのボタンです。
・フードの裏地がチェックになっているパーカー(杢グレー)。
・ビリビリ穴あきデニム。穴はそこまで大きくなかったので、彼のすね毛は見ずに済んだ。
・昔懐かしいウォレットチェーン(しかし長財布には繋がっていなさげ、財布はカバンから出していたので)。
・デニム地に白地で英字がプリントされたボディバッグ。文章は怖くて読めなかった。ところどころ星マークも散っている。
・本当にどこで買ったのか皆目見当のつかない、モカシンのような茶色のスエードの靴。本当に何なのだろう。足が大きくていい感じの靴がないのかな。

ダサすぎて鮮明に覚えている。片時も忘れたことがない。この時初めて知ったが、183cmの偉丈夫の着るダサ服って表面積がエグいぶん、圧倒的な存在感だ。ダサ服3D。ダサ服4DX。五感で感じるダサさ。
「極論、顔かっこよくてスタイル良ければ何だってかっこいいんですわw」という通説が嘘であるとこの時身を以て知った。もしかしたら顔がもう少し格好良かったらイケたのかもしれないが、個人的にはどう首をすげかえてもキツい。たとえ吉沢亮でも怖くてわたしは泣いていた気がする。何かの罰ゲームかドッキリかと思って。じゃあ逆に塩顔だったらどうかと言えば、坂口健太郎がこの服着ててもわたしは狼狽していたと思う。やっぱ逃げの一手である!

少しでもイメージが湧きやすいように楽天の広告を貼ろうかと思ったのだが、どう検索すればあの服が出てくるのかすらわからない。お母さんがイオンで買ってきた服に、若干のメンズナックルぽさをブレンドした、あまりにも香り高いダサ服。

通常時であればわたしはかなり注意深く登場するため、ダサ服着てスマホをチラチラ見る男の姿を視認した後は、先程の事例のようにフェイドアウトを選択したはずだ。しかしながらわたしは完全に騙されていた。なまじ良い感じのスーツ姿をアプリ内で見てしまっていたので、駅に佇むダサ男がまさか電話で盛り上がったスーツがよく似合うあの彼だとは夢にも思わなかったのだ。変な服着た木偶の坊がおるな、と思っていた。

「あ、もしかしてみつぎさん?今日はよろしく」
「アッあ宜しくお願いしま す ァ」

木偶の坊に話しかけられたので、あからさまに吃った。吃ったのを誤魔化すようにわたしは普段の3割増くらいで頬を持ち上げ、笑顔を作った。顔も痛いが、もうすでに心が痛い。ランチ終わったら絶対帰るから、ごちそうさままでは正気でいよう。
そう決めたはずなのに、ランチ中の会話の記憶があまりにも朧げだ。とりあえず挨拶がてら言った「素敵なお店を予約してくれてありがとう」という言葉に嘘はない。多分ちょっと高いしこの店。彼は「嬉しい、年上と付き合うことが多かったから、こういうの叩き込まれててさ」と陽気に語った。いい人…?いい人なのかな。本来ならもうこの辺で互いにボーナスタイム突入というか、お互いに好感度爆上げ会話のはずである。しかしわたしの視線の行先は、彼の襟元のヒモの揺れであった。ひっ…ダ…ダッださ……!
「考えてみたら年下の人と仲良くなるの初めてかも」
「あっそうなんですね」
「自分的にはすごく珍しい。結構下だよね?気が合うなんて思わなかった」
「そうなんですか…わたしの態度がおおきいってことかな?あはは」
嘘だろ?お前年上の彼女いてご飯のお店教わることあるのに服は教わらないなんてある!?どっちも衣食住の一端だろうが!同じくらい重要だわ!教えてから世にリリースしろよ年上のお姉様!
「いやいや、なぜか話しやすいんだよね。年下らしい、ぶりっ子っぽい?みたいな子苦手で。みつぎさんはいい意味でさらっとしてて話しやすいよね」
いやいやわたし今めっちゃ気遣ってるから!えっ何…何!?
会話の合間、ちまちまと切り分けて口に運んでいる白身魚もおそらく美味しいのだが、もう味に集中できない。帰りたい気持ちが強すぎる。食べ終わってお会計になったら「わたし用事があって。買わなきゃいけないものとかあって。もう本当時間取っちゃうと思うし付き合わせちゃ申し訳ないので。きょうは解散しましょう」って言おう!心に決めた。それなのに彼は、
「何それ!つれないなぁ、俺も付き合うよ」と満面の笑顔で言い出したのであった!!!!!!!!!!!!

アッ…?もしかしてダサい人って第三者視点とか相手から見た自分とか相手の気持ちになって考えるとか超苦手なのかな?殴る勢いでガチで断らないとダメな感じ?察してくれない感じ?わたしいくら何でも笑顔振りまきすぎたのかな、全然好意的に思ってないしな、でもご飯奢ってくれたしな……そもそもわたしは人の買い物にすすんで付き合いたいと思ったことがないため、かなりのお断りカードを切ったつもりでいたのですが。彼には一切効いていないようだった。

「あ、あのね。本当つれないとかじゃなくて、本当にね。迷惑かな〜?と思って」
「いやいや全然迷惑とかじゃないよ!みつぎさんの買い物気になるし、俺も見たいものあるし」
いやわたしじゃなくて、お前が迷惑なんだよな〜?そう言いたいんですけどマジでなぜ伝わらない?じゃあせめてもの折り合いをつけよう、わたしは「ん〜じゃあ、お互い遠慮なくウインドウショッピングするために、別行動して、そのあと集合しましょう?ね?お茶でもいいですし」と提案した。もちろん、別行動中に逃げるためである。
「え?本当全然大丈夫だって。何みたいの?アクセサリーとか?」
今思うと彼はわたしに何か買ってくれようとしていたのだと思う。本当に困ったことに、この初回デートのランチで爆速で気に入られている自覚があった。頼んでもないのに、こっちのいいところを見つけて褒めてくるのである。あれよこれよといううちに神にされている感じだ。神輿に載せられるわたし。おおかた、写真詐欺じゃなかったじゃん!くらいの感動なのかもしれないが、ほんとうに、わたしに取っては心底、どうでもいいことである。

「アクセサリー…?うん…?」
諦めた。心を殺すことにした。わたしは「ヒロタカみたいですし。エストネーションいきましょ」と流暢に話して笑い、俯く。茶色のスエードの名状し難き靴が見える。悲しくなってきた。もしかしたら、このダサい靴もダサい服も実家のお母さんが買ってくれた服を、それはそれは大事に着ているのかも。絶対そんなことないけどね。もう29歳でしょ?10年以上この質の服着てたら途中で破れてるはずだし。ところで今日のお召し物どこで買ったんですか?と皮肉の一つも言ってやろうかと思ったけど、おそらくこの勢いだと「みつぎさんにも買ってあげる」などと言われかねないので、わたしは口を固く閉ざし、にこにことしていた。

案の定彼は入店後わたしにどのピアスや指輪が気に入ったのかを繁く聞き、これつけてみなよと誘ってきた。わたしは「別にどれも。試着とかも平気です。この前買ったばっかりだし、要らないかな」とあっさりと退店する。本当にいいの?と彼はしつこく聞いた。うるさい。さっさと帰りたいが、疲れたとでも言ったら今度こそなんかヤバい気がする。

「俺も服見ようかな」
「どうぞ。じゃあごゆっくり…」
「いやいや、どれがいいかみつぎさんの感想聞かせてよ」
「ああ本当どれもお似合いになると思いますよ。わたしが見るまでもなく…」
ゲロォ〜!こいつ〜!嫌がらせか〜!?
彼はHUGO BOSSが好きなんだと言って何の衒いなく入店した。嘘だろ?HUGO BOSSにはビリビリのデニムなんか売ってないよ!貴様、スーツはHUGO BOSSなのに非スーツは楽天なの!?価格の高低差で耳キーンってやつじゃん!どっちも程よくあれよ!
彼は彼でマフラーなどの小物をつぶさにみてご満悦といった様子で、店員におすすめを聞いたり、きわめて積極的にコミュニケーションをとっていた。マジで?店員さん今ここでコーディネート組み直してくんない?100万出すから、この男が。

逃げ出すタイミングは一切なく、この後も茶をしばくことになった。わたしはところどころ白目を剥きそうになりながら中身のない会話を続けたが、ついぞ彼の服装に慣れることはなかった。
「じゃあまた今度!」と爽やかで呑気な彼の挨拶に、言いようもないつらさを感じた。だって彼が手を振ると、ボディバッグが揺れて、ウォレットチェーンもチャリチャリ鳴るのだ。「なんで?」と思わずわたしは声に出した。
「えっなんで……なんでまた会わないといけないんですか?あなたと」と続く自分の声の弱々しさに、自分でもびっくりした。
彼の顔から表情が抜ける。え?とか言ったか、は?とか言ったか。わたしは「ごはんごちそうさまでした。でももう嫌なんですけど」とへなへな笑った。彼は何か言っていた。無視した。聞こえなくていい。こいつ人の話聞かないし、わたしも聞かなくたっていいよね……。

厄介なことに、帰りの電車でスマホを開くと、釈明を求められていた。
さっきのはどういうこと?今日のデートどうだった?などと。次はないって言ったらそれ以上でもそれ以下でもないのに、この人は納得したくてそういうこと言うのか。と脱力した。納得なんかしないくせに。異性から断られる時、双方納得しあうことなんてそうそうないよ。なんでわかんないの。
「死ぬほどダサくて。隣歩きたくなくて。つれないとか照れてるとかじゃなくて、もう本当ずっと嫌で、帰りたかったです。でもそれも気づいてもらえなくて、辛かったですよ。人の話聞かない人となんか、もう会いたくないですもん」
「え?何?みつぎさん相手が理想通りじゃないと納得いかないタイプのひとなの?」
「いや、すこしでも理想に近い人と会えるようにアプリで恋人探してるんですよ。そりゃ落胆するでしょ、中学生みたいな服着た29歳が現れたら」

もういいや、思う存分殴り合おうと思った。

「本当に年上の女性と付き合ってたんですか?いくらなんでもダサすぎません?もしかして年上の女性ってお母さんのことですか?」

だからやっぱり、わたしはダサい男は嫌いなのだ。

好みじゃない、って差別なの?

ある人にとっては、わたしは酷くて醜い人間だった。顔貌はそれなりだが、性根でそういう自覚があった。また自覚があるだけマシだと思っている節もあった。

「好みじゃない」。恋愛というフィールドでのみ使えるワイルドカード。人はこのカードを使うことで、生まれ、育ち、稼ぎ、外見に罰点をつけ、縦横無尽に人を嫌うことができる。
「ここだけの話ね、あの人無理だった。本当は全然好みじゃないし」
背がね。顔がね。喋り方がね。年収がね。無理だね。
人類皆仲良く!差別なんてしてはいけませんという道徳の中、最後に残った自由区が恋愛、はたまたマッチングアプリなんじゃないか?

魅力ある人が恋愛に入れ込み、恋愛をやめられない理由は「人恋しさ」に限らない。相手が求めてくれているのが嬉しいから、なんてスイートな理由で恋愛をする人、これっぽっちもいないんじゃないか。
そんなことより、一方的に相手に罰点をつけ、いかなる状況でも嫌う側に回れる、安心感の希求のために恋愛をする人だって、それなりにいるんじゃないか…身につまされる話でもある。

マッチングアプリ狂いだったとき、再開しては辞め、再開しては辞めるを繰り返した。その度知らない男の人が「また始めたんだ。寂しがりやなんだね」と一方的に声をかけてきた。わあキモい。しかしキモい以前に不思議な気持ちになった。

だって、そんなの全然違う。わたしは楽しくマッチングアプリをやっていた。寂しさを避けるための悲痛な努力ではないように思ったのだ。

わたしはたったひとりの好きになれる男の人を探していたけれど、同時に無尽蔵に男の人を嫌える機会を求めていたような気がする。選択ってそういうことだ。何かを選ぶということは何かを選ばないこと。1/nの分母を増やしに増やして、わたしはむしろ、n-1人を「選ばない」ことに楽しみを見出した。

切り捨てるごとに、わたしは自由になるような気がした。
年収、顔、身長、学歴でフィルタする。するとあの日、漫画を買っている時にメアドを押し付けてきた、気持ち悪い顔の男の人が消えてくれた気がする。夏休みの短期留学先でわたしの跡をつけまわして付き纏ってきた同級生が、消えてくれた気がする。
いもむしのように太くて短い指に挟まれた紙、汚い文字で書かれたメールアドレス、くぐもり吃った声、太い足首に中途半端な丈の靴下、安いスニーカー、好きな漫画が一緒だから仲良くなれると思ったと言って近づいてくる愚かしさ。
全部嫌いだったのだ。なのに「友達になりたいから」などと並べ立て、彼らは明確な拒絶の機会も与えてくれなかった。わたしは何も言わずに走って逃げた。ウザい。キモい。怖い。ヤバい。あっち行ってよ。本当は向こうから離れて欲しかったのに。メアドが欲しいと言うから、存在しないメールアドレスを書き捨てた。本当は全部全部断りたかったのに。
マッチング後のメッセージでもフィルタリングを繰り返す。
あの頃のサークルの先輩のキモい挙動、あの日の上司のあまりにもウザい発言、あの日あの時言葉にできなかった嫌悪が、マッチングアプリの男の人越しにはっきりと形を得る。
押し付けがましい優しさ。見当違いの思いやり。断ることも許されない気遣い。
「そういうの嫌いなので、もう返信やめますね。ブロックします、さよなら」
恋愛の中でなら好みを理由にあっさり嫌えるなんて、めちゃくちゃすごい。何千人もの男の人からいいねをもらって、まず一巡切って並べる。マッチングした後もやり取りをして、キモい人のキモい部分が析出されていく。ウザい人のウザい部分が抽出されていく。無理って言っていい!なんだかわたしにとってはめっちゃすごいことだった。

けれど、これは罪なのだろうか。
やはりわたしは人を選ばないことに快楽を見出す、酷い女だったのだろうか。
そして、これはかつてのわたしに限る欲なのだろうか?

誰に許されたいわけでもないから無理筋で正当性を謳おうなどとも思わない。ただ、わたしは「好みじゃない」「嫌い」カードを相手に切るたび、とてもすっきりした。日常では嫌えなかった類の……可哀想な人を明確な理由を以て遠ざけられることに、とても安心した。でも対岸の好まれなかった人には「好みじゃない」カードがたくさん集まっている…わたし以外の人からも集まっていることも想像に難くない。

こんなに綺麗な人がぼくのプロフィールに来るなんて、何かのご縁ですからいいねします。というメッセージ付きいいねが来たことがある。
検索順位をあげるため、非モテ層に足跡をつけていいね稼ぎをするという行為の一環なので、当然このような狂ったいいねに本来返事はしない。はずだが、ミスってマッチングしてしまった。ブロックするにも悩んで数日置いておいた。
メッセージを開いてみると、マッチングアプリにはスペック厨しかいませんね、外見差別が職業差別が云々、という呪いのメッセージが数件届いており、笑ってしまいそうになった。なんだそれ。普段の生活じゃ明確にNOと言われないだけだよ。
でもきっと、マッチングアプリを通じて可視化された「好みじゃない」が集まるこの人からすると、「いわれなき差別だ」と思うんだろう。悲しいことだ。
かける言葉もない、断絶だ。わたしは彼をブロックした。来世で幸せになるといい。



p.s.
不思議なことに、結婚以降、日常生活にいる男の人をキモくてウザいと思うタイミングがめっきり減った。未婚というフラグが外れたからなのか、単に加齢なのかはわからないが、放っておいてもらえるようになった。ともすると、自分の自意識過剰さや防衛本能が和らいだからなのかもしれない。
こういう効果を期待して結婚を望んでいた部分も、もちろんある。

虫愛づる姫君

※本記事は性的な表現、ショッキングな記述を含みます。

目の前の相手のこと、ちゃんと好きになれるかもしれない。とはいえ、身体を渡す時はやっぱり諦めの匂いがしたはずだ。馴れて痛みが消えたとしても、内臓が擦れ合うのはやっぱり怖い。肉の裏側が光に触れれば、見る影もなくおぞましい。自分の知らない体液がこぼれると、気分が悪くて涙だって流したい。
心は、息をひそめて折り畳まる。限りなくちいさくなって、時がすぎるのをまつ。途中で我にかえらないように、何もかも感覚で上書きして欲しいのに。心なんて何もかもわからなくしてくれたら助かるのに。真っ当な人間ほど、ほんの欠片程度残した「わたしという心」の機嫌を取ろうとするから、わたしはついぞ正気を失えない。痛くないかなんて聞かないでほしい。気持ちいいかなんてわからない。だって判断をしたくない。求められないのも不安なのに、いざ始まれば早く終わってほしい。
何もわからなくなりたい。なにも理解したくない。

だから、人間性の剥奪を希求する。


初めてそういうシーンが出てくる本を読んだのは、小学1年生、7歳の頃だった。
その時のわたしは新しい言葉や新しい漢字を覚えるのに必死で、辞書を読み、パンフレットを読み、漫画を読み、人の本棚を漁るといった具合であった。

五番目のサリー。父の本棚にあった本をわたしは漢字学習のために選択し、漢字以外のたくさんのことをその本から読み取った。
今思うと、金策に興味のある父には不似合いの、人の内面の分裂や統合を描いた話であった。本をそもそも読まず外交的な母にも不釣り合いな、きわめて内省的なものでもあった。誰かからの貰い物か忘れ物、押し付けられた古本だったのかもしれない。
わたしがその本を読んだと報告すると、母は「ハリーポッターも読んだもんね。本たくさん読んですごいね、えらいね」と言って褒めてくれた。とても嬉しくて、お母さん、と抱きついた。知らない言葉は辞書を引けば大体わかった。けれど、サリーの何番目かの人格が相手の男性器を触りながら物を強請る道理はついぞ理解できず、とてつもなく異常に見えた。真似してはいけないことだと直感したので、母にも父にも黙っていた。ああ、あれは不気味な儀式だ。女の人があれをすると男の人が言うことを聞くらしい。なんておどろおどろしい、悪いこと。

そして、程なくして中学受験を志す。

中学受験国語と切っても切り離せないのが作家「重松清」である。
ナイフだか疾走だかエイジだかを読んで、苛々と熱の滲む精液の匂いを、文字で知る。こんどは池袋ウエストゲートパークも娯楽目的で買って読むと、冒頭からさっそくおじさんの性器を口に入れてあやすことでお金を稼ぐ少女のシーンが出てきた。
いよいよ訳がわからない。保健体育で習ったが、子どもを作るための行為が性交なら、子づくりのためには一切必要のない、単なる残酷な行為に思えて本を閉じた。栄養を摂取するところに、排泄をする部位を突っ込むなんて頭がおかしい。吐きそうだ。続きはもう怖くて読めなかった。
少女を支配して暴力をふるうためにお金を払う人がいることを知って、幼い頃のわたしはびっくりした。なんてことはないエンタメ小説の一幕が、心の隅に染みをつけた。

得てして性の目覚めには大概自罰の感情がついてまわる。両親から本の感想を聞かれないことにわたしは安心していた。単に父も母も本の内容に興味がなかっただけなのだが。
帰り道、雛鳥が巣から落ちて死んでいたら親に報告するような子どもだったのに、捕まえたバッタの脚がもげたらわざわざ死骸を持ってくる子どもだったのに、人が人にいいように扱われる様子だけは口にすることができなかった。

そして中学生にもなれば漫画アニメ音楽にハマり、個人サイトを作ってみたり、二次創作デビューをしてみたり、恐怖した反動とも言える勢いでポルノなポップカルチャーにのめり込んだ。

月蝕グランギニョル

月蝕グランギニョル

亡國覚醒カタルシス

亡國覚醒カタルシス

薔薇獄乙女

薔薇獄乙女

薔薇だの憂鬱だのという漢字は歌詞で学んだ。当時新しいものは大体エロく、グロく、悪く、醜くって美しかった。
目を向けるのも嫌だった悪いものを、目に入れても平気なように馴らしていく。知れば怖くなくなる。そう信じて、半ば強迫的に猥雑なものを取り込んだ。
Filth in the beauty-Auditory Impression-

Filth in the beauty-Auditory Impression-

体温

体温

妄想日記

妄想日記

  • シド
  • ロック
  • ¥255
7-seven-

7-seven-

音楽は屈折した性行為と執着と暴力を甘く歌ってたまに絶叫。
二次創作をしているお姉さんたちは萌えの名の下にいかがわしい目でキャラを見て、作中で活躍するキャラクターをこれでもかと辱めた。
友達に誘われて始めたmixiでは、おにいさんおじさんたちが善意を装って「漫画好き?俺も好きだよ どんな漫画が好き?」「音楽好き?俺も好きだよ どんなバンドが好き?」と言って若き我らの機嫌を取るべく、メッセージを繁くよこしてきた。面白い。同い年くらいの女性とお話しされたらどうですか。
「最近好きになっちゃって…。あんまり詳しくないので、教えてください」
わざといやらしいことを言わせてBANをする遊びはこの頃覚えた。条件さえ揃えば進んで間違う大人の多さが楽しかった。
人や暴力の機序を少しでも多く知れば、傷つけられずに済む。わたしは怖かった。ずっとずっと怖かった。優しい大人が好きだった。
お父さんもお母さんも優しい。帰りが遅くなれば迎えに来てくれる。遊びに行った時もだ。だから心配かけるまいと、わたしも門限は絶対に守っていた。
制服を着ているのに、たまに変な大人の男の人に声をかけられた。突然目の前に停まった車から顔が覗き、乗っていかない?と言われたことがあった。わたしだけでなく、きっと女の子なら誰しもが味わう悪意だ。
わたしは一人なのに、男の人複数人で声をかけられて、無言で逃げた日もあった。
無力だと侮られて、騙されるのは嫌だった。都合よく使われるのも嫌だった。愛だなんだと嘘をつかれ、裏切られるのも嫌だった。
だから支配する側になって、安心したかった。

そういった確信を得て、かつて大好きだった推しとわたしは出会った。わたしは飽きてすっかり別の音楽を聴いていたし、彼の引退公演で「ごめんね…泣かないで」という言葉と共に手渡されたものだけ、アナスイの財布の中でちいさく場所を取っていた。
長い前髪、涼し気な目、大きく通った鼻、ふっくらとした唇、気だるげな声、薄い身体、高い身長、節くれだった指。
かつて憧れた人間が、条件さえ揃えば間違う人間であるという事実が、わたしの幼くて狭い脳を芯から熱くした。
挨拶をすると、彼は「はじめまして。かわいいですね」と笑った。
初めてじゃないのに。なんておかしな人なんだろう……わたしはいつしか、相手の善悪を試さないと満足いかない身体になっていた。

会話から行動まで、わたしは相手のすべてを肯定した。何ひとつ間違ってない、あなたの幸せがわたしの幸せ。そうやって引き起こされた相手の増長や間違いを積み上げて、自分の身体を害さずに済むタイミングでことを起こす。
推しは事務所を解雇され、再開した活動も辞めてしまった。わたしで遂げようとしたことを他の子で遂げているのなら、牢屋に入るような悪いことをしていたわけだけれど、わたしは自分が被害者になるのは嫌だった。決定的な暴力をもらって警察に行くのではなく、もうすこしソフトな締めくくり方を選んだ。
「男の人…まだ好きじゃないけれど、興味あります。好きになりたい。全部知りたい。ぜんぶみせてくださいね」。
推しは間違えた。やっぱり間違えた。推しのサイトが消えた時の、わたしの気持ち。
女子代表として復讐を果たせた?
好いた惚れたという情のやり取りではなれなかった推しの唯一になれた?
かつて圧倒的に優位にいた相手の行動を操れた?
かつての崇拝に惑わされずに相手を殺せた?
相手の神性を剥奪できた?
支配と統制の喜びだけが、わたしの心を満たしてくれた。今回もわたしは、殺されずに済んだ。
無力なわたし。騙されて、犯されて、奪われて、殺されるかも知れなかったのに、ちゃんと助かった!
わたしは制服を脱がなかった。推しは王子様や神様の類だったのに、あの日ただの害虫に成り下がった。


悪癖が治ったのかどうか、今もわからない。
その後わたしも幾人かの男の人とふつうに交際をした。n人目の男と結婚する、ふつうの恋愛・ふつうの結婚のロードマップに沿って、逆算的にだが男と付き合っておかないといけない気がしたからだ。抱かれて罪に問える歳でなくなってしまった。だから、ふるまいを変えなければ。
かつては身体に触れさせないことで価値を確立していた。今度は身体を許すにしても、どのラインを守れば価値を毀損せずに済むか。

それでも、だからこそ?初めて恋人となった男と寝る時、ああ、ここで一度わたしは死ぬのかな?と感じた。
皮膚に沸いた害意を取って潰すのではなく、いまここにいるわたしは身体を放り、今度は害意に食われるのをまつ。虫が這う。虫に抱かれる。なるほどね。
悪意の受容でしかなかった。今ここであなた相手なら傷つくことも已む無し、と諦めることでしかなかった。かつてのイカれた支配欲求を手放すことでしかなかった。

当時の恋人は、大きな身体に似合わず、繊細な男だった。聡く、静かで、ギターが上手い恋人だった。
別れる時は、思い出がたくさんあるから、と言って泣いていた。俺は君みたいに強くないから、と帰る道すがら宣った。
話の最中は拗ねた顔して黙っていたくせに、何こいつ。最後の最後まで劣等感まみれでムカつく男だ。
「君は卑怯だね」と肩を叩いた。ちびまる子ちゃんの永沢くんみたいな感じ。
「わたしもおんなじくらい悲しくて寂しくて不安なのに。君はそんなことも汲んでくれないんだね…」
喉を鳴らして彼はまた涙を溢した。
だって全然違う。ズレズレだ。君は賢くて強くて、わたしは弱くて愚かだ。だからこそ幸せに生存するために、万事有利な男に背乗りする。
何年か付き合ったのに、そんなこともわからないなんて。
傷つける

傷つける

でも、しかたがない。虫食いになったらなったなりの、事の進め方がある。
わたしは電車の中で、当時生まれたばかりのマッチングアプリをダウンロードした。


考えるに悪癖は、致命的な過ちに巻き込まれないための適応的な戦略だったようにも思うし、近づく必要のない悪のみぎわに身を置いて、高波が迫るごとに騒いでいただけなのかも知れない……とも思う。大人になった今でも、何も自分がわからない。

ひとつだけ言えるのは、如何なる敵意害意悪意も、浴びせられるとひどく興奮したということだ。
「知らないなら教えてあげる」「かわいいね」「俺は違うよ」「安心して」「仕方ないな」「お前男の趣味悪い」「自分は絶対そんな酷いことしない」
訳のない優しさだ。
理由なく優しくされればされるほど、裏にある悪意を期待する。この人はわたしに理不尽を教えてくれるのではないか?

何もあげたくないから、何でもしてあげられる気がする。だけれど奪われないと本気になれない。
わたしに、支配と統制を諦めさせて欲しい。だけれどわたしはあなたを乗っ取らないと安心できない。

マッチングアプリ文学は、こういったアンビバレントな欲に折り合いをつける間の、出会いの記録です。

醜形恐怖症の彼

コロナが人との関わり方を決定的に変えてしまうよりも前のこと、よくもまああんなに気軽に人と会っていたものだと思う。

マッチングアプリをやっていた。結構本気でやっていた。その証拠に、毎日プロフを変えまくった。大したことない人間だからこそ、最初の1週間で最速で何百いいねを叩き出して箔を付けないと、結果にコミットできないと思っていた。

あー、あしたの朝起きて石原さとみになっていたら!でもわたしは石原さとみではないし、砂金ほどのしあわせだって、これでもかというくらい川底を浚わないと一粒だって見つかりゃしない。わたしはわたしで、超焦っていた。

プロフの一文目はもちろん「Q.誰に似ているでしょう?」に決定だ。クソみたいな質問には、クソみたいな回答がたくさんつく。誰相手でも、最初はクソみたいな問答から始まる。例外はない。大体最初の話題をそれに限定しておけば、進捗管理も容易になるからだ。

このクソみたいな符牒すらやりとりできない人間はそもそも恋愛に向いていない。あらゆる会話はクソ質問とクソ回答から成るのを、そいつは忘れているからだ。



出会うにはこれしかないのだ、と全適齢期が焦る前のマッチングアプリは、友達が少ない人のためのものだった。
友達が少ないオタクはもちろん、ヤリチンだって友達が少ないタイプのヤリチンだ。恐るるに足らず。

別にそれで構わなかった。休日に友達とスポーツをして飲んで帰ってくる人なんて多分わたしのことは本気で好きにはなってくれない。
彼女の機嫌をとるうちに自分もディズニー好きになってしまった人なんて、わたしの粗忽さに呆れかえってしまうだろう。
わたしは毎朝髪も巻かないし、ディズニーなんて好きじゃない。雨降ったらおしまいの娯楽なんて、娯楽じゃない。家で温かい飲み物をいれて、映画を観たほうがいい。お化粧もスキンケアも、やっぱりちょっとめんどうくさい。


話を本筋に戻す。兎にも角にも、コロナ禍の前のマッチングアプリは、インキャだけの仮面舞踏会だったのだ。

彼は「A.誰に似てるかはわかりませんけど、二重が綺麗ですね」と答えたのち、「でも面白い人だから話したいなと思いました」と続けた。
わたしは、その回答が心から興味深いと感じた。

わたしのまぶた。自慢の左まぶたに合わせたデザインで、右まぶたを折り畳んでもらった。誰もが気づかない、完璧な整形だった。
ふだんの化粧に工夫が要らなくなる最高のライフハック。そしていつしか整形をしたことも忘れ、加齢によってこの目になったかのように生活している。

医療の手を借りた外見であるという負い目もなく、かといって心血と金を注ぎ込み得た勲章であるという自負も当然なく、整形したという事実はなだらかに日常に埋没していった。

「まぶたに注目するなんて!繊細なセンスで素敵ですね」とわたしは返した。



彼は明るく、多弁だった。IT系の仕事をしているらしく、当時珍しかった在宅勤務も積極的に活用していると言っていた。気乗りしないならアプリ内でやりとりするから無理にLINEも交換しなくていい、という気遣いも見せてくれて、やっぱり繊細な感性があるように感じられた。

彼はお笑いが好きだと言う。なんでも以前は演者側をしていたこともあるらしい。

「笑わせる側に回るなんてすごいね」
「まあ、俺は意外と性格悪いからね」
ユーモアにコンプレックスや偏見は不可欠であるとわたしも思うから、彼の意見には納得した。


気安いやりとりを重ねたせいか、なんとなく初回のデートの場所決めはわりかし雑なもので、我々は新宿あたりで落ち合って、中華料理を食べることにした。

細身の彼は真っ黒い服に真っ黒なコートを羽織っていて、なるほどIT系ってこんな感じか、カジュアルなのね。わたしはひとりで得心した。
そして、すこし俯き加減。普通の人に比べて、ちょっと目が合わない感じ。目が合いすぎる男の人は高確率で身体にベタベタ触ってくるから、それに比べたらマシなのだが。

「今日もお疲れ」
ジョッキを掲げ、先に声をかけたのはわたしの方だった。彼はぎこちなくはにかんで、「おつかれ」と言った。


ビールも2杯目に差し掛かると、彼はアプリ内同様によく話すようになり、徐ろにこう切り出した。
「いいなあ」
「何が?」
「目。綺麗な二重でいいなあ。写真通りきれい」
「〇〇くんも二重じゃん」
「俺なんて」

俺なんて、ゲロブスですよ。

彼は確かにそう言った。文字で見ることはたまにあっても、声に出すとここまで悍ましい響きだとは思わなかった。
マッチングアプリ、度の過ぎた自慢に出会った時の対応は想定していたのだが。度の過ぎた自虐に出会った時の返答について、全く考えていなかった。


「え……わたしはそうは思わないよ。体型だって、気を遣ってるの伝わってくるし」
「ヒョロガリチビだよ。本当は背だって欲しい」
「そんなに小さいかな?プロフィールでは170cm以上だよね?」
「うん?でももっと欲しいよ。そっちは160以上あるんでしょ?いいなあ。それだけで切られることないじゃん」
「え、あぇ、そうなの?」

だめだ。何もいい感じの返答ができない。おずおずと視線を移すと、彼は笑っていた。

「俺さあ170cmないんだよね。本当は168cm」
あれ、もしかしてこの流れはヤバいのでは。わたしもいいねを返す時は170cm以上に設定していた。

「170cmないと切られるからね。俺は170cmで登録してんの」
ヤバい。やはり見透かされている。
悪びれず嘘を告白してきたことに対する怒りよりも先に、170cmだか168cmだかも見分けられないくせに170cmで足切りしている自分を責められている気がして、思わず閉口した。

「そ……そうなんだ。中々厳しいんだね。平均身長の標準偏差の範囲内だと思うけど」

「写真もさあ、写りいいやつ選びに選んで。もう整形しちゃいたいよ。だって俺、ブスだよね?骨切って輪郭直したい。鼻もキモいし不快な顔面」
「いや、そんなに……?でもなんでそんなに整形したいの?お金もかかるし、骨なんか切ったら超痛いよ。ダウンタイムもすごいんじゃない?」
「いやいやいや。そっちは困ったことないからわかんないんだよ。ブスは差別されるよ?」
「ええ……?」
「顔が綺麗だったら強くなれる。男からも女からもナメられないし、見下されない。もっといい女の人とも出会える。もっと綺麗で、もっとスタイル良くて」
「え?ええ、ちょっと待って……じゃあ今ここで出会ったところでめっちゃ無意味じゃない?」

思えば、ルッキズムの化身。近年よく見る整形垢の人の論理だった。

「何が?」
「いや。やっぱりそれおかしいよ。整形終わったら顔変わっちゃうんでしょ?」
「そうだけど」
「顔が変わったら出会う人種も人生も変わって晴れて劣等感もクリアできると思ってるんでしょ?」
「うん」
「じゃあ今の劣等感まみれの状態で恋愛なんかしないでよ。こっちからしたら迷惑だよ。出会う人種も人生も変わったらそれに合わせて恋人も変えるんでしょ?いずれ切る前提で自分の人生に相手を付き合わせるのはメチャクチャ不誠実。クソクソ自分本位。この身勝手野郎」
「だって恋愛だよ?結婚じゃあるまいし将来を約束するなんて……それまで俺は誰とも分かりあうなってこと?」

いつしか当惑は消え、わたしの中にあるのは怒りであった。

先述したような相手の不徳を指摘したい気持ちもあるが、何よりも「今わたし遠回しにブスって言われてるじゃん。コイツの目指すところはどのレベルの美女だかわからんけど足るを知れよ。コイツ自虐しすぎて周り巻き込んだ他虐になってしまってるじゃん」という怒りがわたしを突き動かした。

「帰る。さよなら。お会計よろしく」
ムカつくので伝票は置いて帰った。わたしのこと不快にさせ罪で罰金刑だ。

「さっきはごめん。俺はみつぎちゃんならわかってくれると思ってつい話しすぎちゃった。気が合うなと思ってたから……」
言い訳のメッセージがトーク欄に並ぶ。
「以後気をつけます!今後は直すので!」

爽やかな謝罪。言いたいことはたくさんあったが、伝わる気がしなかった。

「え?最初に直すのは顔でしょ?その次に背だっけ?」


彼が「上」を目指すのはおおいに結構だが、下から上を目指す都合上、人に上下をつける必要があったのだ。
積極的に自他の粗を探して、粗の数でランク付けする。あまりにも残酷な階級意識をまざまざと見せつけられ、混乱した。

素直ぶって「そんな偏見やめようよ」「人は見た目じゃないよ」「話せばわかるよ、人は中身」なんて言えるほど、わたしは幼くもないし清廉でもない。
だいいちわたし自身がなんの躊躇いもなく170cm以下の人を弾いていたのだから。

しかしわからない。劣等感まみれの現状、妥協で女と付き合って満たされるものなんてあるのだろうか?ふとした瞬間に「うわっ!コイツ寝起きブッサイク!てか俺、なんでこんなブスと付き合ってんだろ」と思うのではないだろうか。

顔が良くなった時に付き合う女と比較して、「俺ってイケメンになったんだなあ」としみじみと思いを巡らせるために使われるのだろうか。

でも一度ついた粗探し癖って簡単には無くならないと思うけれど。この人はたぶん美女にも簡単に幻滅する。

「頑張れ!イケメンになってね。わたしも整形したことあるけど、たぶん性格はあんまり変わらないよ」

言い逃げてブロック。
かくして、彼は顔の悪さではなく性格の悪さでわたしという凡な女を逃した。
たとえわたしがどんな顔してようが、劣等感のサンドバッグになんてなりたくないからね。